「九条の会」宛の質問状


2015年3月19日、私は、「九条の会」に対して、下記の質問状を送付した。

九条の会 殿

昨年八月八日にこれとほぼ同じ内容の「質問状」を送付しましたが、半年以上が過ぎた今もなお回答を頂戴していませんので、あらためて簡易書留にて送付します。ひと月後の本年四月二〇日までに回答を頂戴できれば幸いです。何とぞ宜しくお願い申し上げます。
貴会の憲法九条に対する理解、認識について、お訊ねしたいことがあります。
二〇〇四年六月一〇日の結成時に発表された「九条の会」アピールの中に、下記の一文があります。
[私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。……日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点でをつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。]
憲法九条が世界にも稀な平和憲法であるという理由は、「戦力の不保持」「交戦権の否認」という定めにより、「侵略」はもちろん「自衛」のためであっても戦争をしない、自衛戦争さえ放棄している点にあります。これが九条の最大の特徴であり本質でもあります。
そこでお訊ねしたい。
貴会は、上記アピールの中で九条を「世界に輝かせたい」「日本国憲法を守りたい」と記していますが、その憲法九条を、貴会は、自衛戦争を含むあらゆる戦争を放棄するものとして理解、認識し、これを「輝かせたい」「守りたい」と考えておられるのか、自衛戦争は放棄せず侵略戦争のみ放棄するものと理解、認識して「輝かせたい」「守りたい」と考えておられるのか、どちらでしょうか?
呼びかけ人の一致した見解があるとか、会としての公式見解があるなら、それを示していただきたい。もしそうしたものがないのなら、呼びかけ人の個々の見解を伺いたい。
これは些末なことではなく本質的な問題であり、人々に呼びかける側(九条の会)は、それを明らかにする責務があると考えます。

「憲法九条を守りたい」と考えている人の中には、九条を(憲法制定当時の政府見解通り)自衛隊や自衛戦争を認めないものだと認識している人もいれば、自衛隊の存在を認め、自衛戦争を容認するものだと理解している人もいます。九条支持者の中で、こうした異なる解釈が存在しているのは間違いなく、そのことは貴会も認識されているものと拝察します。
権力者が勝手な解釈で、条文を残したまま憲法九条を大きく歪めようとしている今、自衛戦争を認めるか認めないかは明確にしないのが「大人の知恵」だなど言って曖昧にしたままやり過ごすのは、もうやめるべきだと私自身は考えています。
上記の質問について明快な回答をお願いします。
今井 一
二〇一五年三月一九日(木)

伊藤真氏の著作『やっぱり九条が戦争を止めていた』の一節(p.35~36)※をコピーして同封しました。私の質問の趣旨を理解する参考にしてください。

※[九条の最大の特徴は、「陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とする二項です。自衛戦争を含めた一切の戦争を放棄して
いるからです。戦力を持たないから、たとえ自衛のためであっても戦争は一切できません。また、
戦力を持たないから、戦争する権限を国に認めていません。それが二項の定める「戦力の不保持」、「交戦権の否認」という内容であり、九条の本質は、平和三原則の第二、第三を定めたこの二項にあるのです。]
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私は当たり前のことを訊ねているのだが、送付からすでに5カ月が経過した現時点で、回答もないし連絡もない。九条の会は、少数の人々の限られた趣味のサークル活動といったものではなく、日本はもとより世界中の人々に対して憲法九条の「すばらしさ」を説き、これをまもる運動をしている。にもかかわらず、会の活動の根幹にかかわる本質的な問いに答えず、答えない理由も伝えないという姿勢はどうだろうか。私は大いに失望している。なぜ彼らが「答えない」あるいは「答えられない」のだろうか。そこにこそ、護憲派が肯定してきた「大人の知恵」の限界・欺瞞が潜んでいる。