1922年、イタリアは日本やドイツと同じく、ファシストが支配する全体主義国家となった。やがて、圏内でレジスタンス(抵抗運動)が巻き起こり、連合国軍からも攻撃を受け、ファシズム体制は崩壊した。
ファシストへの追撃と並行する形で、(反ファシストでは一致していた)王制擁護派と国王の責任を追及する左派勢力が、「政体問題」で対立。国土解放後に、制憲議会選挙と同時に、〈君主制〉と〈共和制〉のどちらを採るのかを国民投票にかけ、「政体問題」に決着をつけることになった。そして、89.1%という高投票率の結果、イタリア国民は君主制に終止符を打ち、共和制を採ることを支持した(54.3%)。
この国民投票が実施されたのは1946年6月3日。日本ではちょうどこの頃、極東委員会が天皇制存続の可否について討議を開始(6月4日)。他方、枢密院本会議においては、天皇臨席の下で「憲法改正草案」を可決した(6月8日)。