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[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]連載 第3回


[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]

連載第3回(全3回)

[Q.5]だけど、リトアニアやイタリアやスウェーデンと違い、日本の場合はメディアが政府に対して弱腰だし、日本人は馬鹿だから「安保法制」や「原発再稼働」の是非を問う国民投票をやったって衆愚政治になるだけでしょう。

[答]「弱腰だ」「馬鹿だ」、国民投票だと衆愚になるというなら、選挙でも衆愚になるでしょう。国民投票では愚かな選択をするけど、選挙だと賢い選択をするという主張はおかしいですよね。社会保障や景気対策など多くの争点がある中で、「安保法制」を葬り去るという候補者を多数当選させる主権者ならば、国民投票では確実に違憲の安保法制を非とします。
私はむしろ話は逆だと考えています。政党や人に投票する選挙では(結果として)愚かな選択をする主権者であっても、住民投票・国民投票では投票対象となったその一つの案件に対して、主権者はよく考え、よく学び、よく話し合って結論を出します。「原発」に関わる具体的な事例を紹介しましょう。
例えば、国会議員選挙と同時に「原発建設」の是非を問う国民投票が行われたリトアニアでは、「反原発」を掲げて選挙に参戦したみどりの党の候補者は一人も当選しませんでしたが、国民投票では原発建設に反対する票が65%に達しました(連載の第2回を参照のこと)。日本国内の住民投票に例をとると、新潟県巻町、刈羽村、三重県海山町と、首長、議員の選挙では推進派が勝っていたところで、住民投票では反対派が圧勝しています。
このように、ほぼ同じ時期に行なっているにもかかわらず、選挙と住民投票が大きく異なる結果となるのは「原発」に限ったことではなくよくあることです。最近では、大阪市の解体と特別区の設置(いわゆる都構想)の是非を問う住民投票と、その前後に実施された市長選、知事選も、結果が異なって出た事例の一つです。
メディアとの問題でいうなら、世界的に「カネ」をもっているほうがテレビやラジオといった媒体を使ってのPRを大規模に行う傾向があり、確かにそれは一定の影響があったと思われます。それでも最終的には(「原発」についての投票では)、市民派・反対派が多数を制しています。知恵と理性の勝利だといえます。
「安保法制」に関するふだんの報道についても、政府に肩入れする記事を書いてばかりの
新聞やテレビがあることは事実ですが、それを理由に国民投票での決着を否定するのはまちがいです。メディアの中には政府べったりではないところもあります。それに、昔と違い、個人やグループがネットを使って、御用メディアの歪んだ報道を「矯正して」広範な人々に伝える活動もできます。とにかく、メディアが云々の《泣き言》はやめて闘いましょう。
御存知のように、東独、ポーランド、ルーマニア等々旧社会主義国においては、マスメディアは完全に権力者の支配下にあり、反逆者たちは地下新聞や地下放送でコツコツと政府批判を続けてきましたが、多くの主権者は「馬鹿」ではありませんでした。89年~91年の東欧連鎖革命がそれを示しました。
それから、「国民主権」「立憲主義」を確保することが、必ず自分たちの思い通りの結果、愚かではない結果になるとは限らないということやそれでもこれを守ることの意味を理解しなければなりません。簡単に言うと、主権行使の一つとして選挙が行われても「原発再稼働」を認め進める首長や議員が「3.11」以降も多数当選しています。おそらくこの先もそうでしょう。で、そうなることが選挙前に容易に予測できるからといって、「愚かな首長、議員を誕生させない」と叫んで選挙を妨害し、やめさせるなんてことをしてはいけません。それは国民主権を確保するどころか主権をはく奪する行いです。主権者はよく間違い愚かな選択をするものなのです。
これは、「安保法制」の是非を問う諮問型国民投票、9条改憲の是非を主権者に問う国民投票についても同じ。安倍政権は国民投票での主権者の承認によらない解釈改憲によって集団的自衛権の行使を容認し安保法制を導入しましたが、これは国民主権と立憲主義の両方を侵しています。しかしながら、もし自民党の9条改憲案が憲法96条の規定に則り、衆参各院で3分の2以上の賛成を得て改憲案を国民投票にかけ、承認されれば、法手続き的には国民主権と立憲主義の両方が確保されたことになります。平和主義は壊されますが。
法哲学者で東大教授の井上達夫氏の、「このまま解釈改憲がまかり通り、自衛隊員が[違憲]とされたまま戦闘で殺したり殺されたりするぐらいなら、自民党の改憲案が発議され承認された方がまし」という発言の意図は、まさに国民主権と立憲主義を確保し機能させることの意味、大切さを述べたものにほかなりません。にもかかわらず、深く考えることなく意図をきちんと理解せず、「9条改憲を是とするとんでもない奴」と切って捨てることこそ愚かです。
とにかく「日本人は馬鹿だから国民投票はやめたほうがいい」はやめましょう。世界中ですでに2千を超す国民投票が行なわれているというのに、日本だけは一度もやったことがない。その非常識について考えてみてください。
もし今後「日本人は馬鹿だから国民投票はやめたほうがいい」と言うなら、論理的には「日本人は馬鹿だから選挙もやめたほうがいい」と言うべきです。それがいかに民主主義、国民主権を否定するものか考えてみてください。
私たちは愚かなところがあります。だからといって国民投票や選挙をやめようではなく、同胞と共により賢くなって国民投票や選挙を活用するしかないのです。

 ◆9条瀕死の主たる理由は、歴代政権が進めた再軍備のための解釈改憲を国民の多数が9条を支持しつつ「大人の知恵」だと黙認してきたことだ。それを理解し、立憲主義と国民主権を確保する道をとるべしその歴史や理由を詳細に解説。今こそ理解して戴きたい。メールを下さればサイン本をお届けします。info.ref.jp@gmail.com
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