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敗戦後の体制について、国民投票で決めたイタリアと国民投票をしなかった日本


1922年、イタリアは日本やドイツと同じく、ファシストが支配する全体主義国家となった。やがて、圏内でレジスタンス(抵抗運動)が巻き起こり、連合国軍からも攻撃を受け、ファシズム体制は崩壊した。

ファシストへの追撃と並行する形で、(反ファシストでは一致していた)王制擁護派と国王の責任を追及する左派勢力が、「政体問題」で対立。国土解放後に、制憲議会選挙と同時に、〈君主制〉と〈共和制〉のどちらを採るのかを国民投票にかけ、「政体問題」に決着をつけることになった。そして、89.1%という高投票率の結果、イタリア国民は君主制に終止符を打ち、共和制を採ることを支持した(54.3%)。

この国民投票が実施されたのは1946年6月3日。日本ではちょうどこの頃、極東委員会が天皇制存続の可否について討議を開始(6月4日)。他方、枢密院本会議においては、天皇臨席の下で「憲法改正草案」を可決した(6月8日)。

GHQをも配下に置く[日本占領政策遂行]の最高意思決定機関である極東委員会は、日本政府やマッカーサーに対して、イタリア同様、国民投票を実施して「軍備全廃・戦争放棄」や「天皇制の存続」について主権者一人ひとりの意思を確認すべきだと強く求めた。当時の議事録を一部紹介する。

■1946年6月27日/第17回極東委員会

エヴァット博士(オーストラリア代表)

新憲法については、施行後1年以上2年以内に見直しを行なうということで文書が作られたが、この期間は短すぎる。それよりも、「2年以上」としたほうが実行可能だと考える。新憲法はその施行をもって最終承認されたことになるわけではない。いったん施行した上で、見直しを図るという方途は、旧憲法(大日本帝国憲法)での統治を続けて新憲法の施行を無期限に引き延ばすよりは良策だ。いずれにしても、新憲法を日本国民がすぐに承認するということは、非現実的であるような気がする。

カール・ベランセン卿(ニュージーランド代表)

現在の日本の国会が、主権者である日本国民の自由な意思を尊重しているかどうかについて検証されるべきで、ここが問題のポイントだ。ニュージーランド政府としては、国会が承認したからといってこの検証が十分に為されたとは言えないと考えている。

ルードン博士(オランダ代表)

エヴァット博士の意見に感銘を受けたが、新憲法が暫定的なものでしかないという印象が色濃く出ることについて懸念を抱かざるを得ない。その場合、新憲法の施行日から国民投票に至るまでの問、反民主勢力の活動を助長することになりはしまいか。

エヴァット博士(オーストラリア代表)

その疑念は完全に払拭できない。反民主勢力が台頭するかどうかは、日本国民が憲法の承認に関して直接に投票する機会が与えられるかどうか、国民投票を実施するまでの時間、修正の種類などにかかっている。

ルードン博士(オランダ代表)

占領軍が駐留し民主的手続きが保証されている間に、新憲法が国民投票に付されれば、これは承認されることになるだろう。それは、反民主的勢力に楔を打ち込むものとなるが、もし今、国民による承認を受けなかったら、そうした勢力の圧力に持ちとたえられなくなる。

エヴァット博士(オーストラリア代表)

新憲法が国民投票によって承認されるならば、将来我々がこれを見直す必要はない。だが、最高司令官(マッカーサー)は、今、国民投票を実施すべきだとは考えていないようだ。

■7月2日/第18回極東委員会

プリムソル陸軍少佐(オーストラリア代表)

将来、この憲法が日本国民に押しつけられたものであるという感情を取り除くためにも国民投票を即刻行なうべしというのが、わが政府の見解だ。ただし、最高司令官(マッカーサー)は、そうした国民投票による新憲法承認のための規定は必要ではないし望ましくないと考えているようだ。そうした規定を設けることは厄介なことになるであろうし、新憲法の承認が遅れるなど有益なことは何一つないというのが彼の意見だ。

ある程度、時間をおかないと新憲法のよいところや悪いところが見えてこない。マッカーサーは、すぐさま国民投票を実施するのには反対しているが、将来一定の時間をおいた後これを行うことについては反対しないだろう。マッコイ少将(アメリカ代表)は、米国政府は必ずしも国民投票の実施に反対するわけではないが、これを今、厳格な法規定とするのは賢明でないと発言していた。このような状況にあってオーストラリア政府は、新憲法草案見直しの主要原則について合意するための妥協を拒みはしない。

■8月28日以降に行われた会合(日付不詳)

プリムソル陸軍少佐(オーストラリア代表)

オーストラリア政府が最も重要だと考えているのは、その憲法の長所、短所が明らかになる期間をおいた上で、それをはっきりさせて憲法を見直すことだ。現国会による見直し、新国会によって見直されることが必要である。なぜなら、この新憲法というのは必ずしも日本国民の自由意思を表したものだとは言えないからだ。

カール・ベランセン卿(ニュージーランド代表)

新憲法を制定後十分な時間を経てから見直すことに賛成。特に、さまざまな条項・規定がどのように機能するかが明らかになるまでは時間をおくというのが肝要だ。との見直しによって、日本国民はこの憲法をより尊重することになると考える。

国民投票といった日本国民自身による新憲法承認の明確な意思表示の場を踏まなければ、あとになってもっともらしい言い方で、「この憲法は押しつけられたものだ。したがって破棄されなければならない」と反動勢力から攻撃されることになるだろう。

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吉田茂政権とマッカーサーは、極東委員会のこうした求めを事実上無視し、強引に事を進めた。そして、後年、極東委員会の何人ものメンバーが指摘した通り「押しつけられた憲法だ」という保守勢力からの攻撃が始まると同時に、再軍備や日米の軍事同盟が9条を侵す形で、つまり解釈改憲によって積み重ねられ、ついには今日のような集団的自衛権の行使容認という「解釈改憲の極み」に至ろうとしている。

70年近く遅れはしたが、今こそ、[軍隊を持つのか持たないのか?自衛戦争なら容認するのか、これも放棄するのか?]について、主権者である国民の意思を明確に示さない限り、権力による立憲主義破壊の解釈改憲を阻むことはできない。

重ねて言う、それを決めることができるのは憲法制定権者であるわれわれ国民であって安倍晋三氏をはじめとする内閣や議会ではない。