Category Archives: 住民投票

231月/16
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[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]連載 第3回

[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]

連載第3回(全3回)

[Q.5]だけど、リトアニアやイタリアやスウェーデンと違い、日本の場合はメディアが政府に対して弱腰だし、日本人は馬鹿だから「安保法制」や「原発再稼働」の是非を問う国民投票をやったって衆愚政治になるだけでしょう。

[答]「弱腰だ」「馬鹿だ」、国民投票だと衆愚になるというなら、選挙でも衆愚になるでしょう。国民投票では愚かな選択をするけど、選挙だと賢い選択をするという主張はおかしいですよね。社会保障や景気対策など多くの争点がある中で、「安保法制」を葬り去るという候補者を多数当選させる主権者ならば、国民投票では確実に違憲の安保法制を非とします。
私はむしろ話は逆だと考えています。政党や人に投票する選挙では(結果として)愚かな選択をする主権者であっても、住民投票・国民投票では投票対象となったその一つの案件に対して、主権者はよく考え、よく学び、よく話し合って結論を出します。「原発」に関わる具体的な事例を紹介しましょう。
例えば、国会議員選挙と同時に「原発建設」の是非を問う国民投票が行われたリトアニアでは、「反原発」を掲げて選挙に参戦したみどりの党の候補者は一人も当選しませんでしたが、国民投票では原発建設に反対する票が65%に達しました(連載の第2回を参照のこと)。日本国内の住民投票に例をとると、新潟県巻町、刈羽村、三重県海山町と、首長、議員の選挙では推進派が勝っていたところで、住民投票では反対派が圧勝しています。
このように、ほぼ同じ時期に行なっているにもかかわらず、選挙と住民投票が大きく異なる結果となるのは「原発」に限ったことではなくよくあることです。最近では、大阪市の解体と特別区の設置(いわゆる都構想)の是非を問う住民投票と、その前後に実施された市長選、知事選も、結果が異なって出た事例の一つです。
メディアとの問題でいうなら、世界的に「カネ」をもっているほうがテレビやラジオといった媒体を使ってのPRを大規模に行う傾向があり、確かにそれは一定の影響があったと思われます。それでも最終的には(「原発」についての投票では)、市民派・反対派が多数を制しています。知恵と理性の勝利だといえます。 Continue reading

101月/16
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[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]連載 第2回

[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]

連載第2回(全3回)

[Q.4]なるほど、けれども、必ず反対多数となって違憲の安保法制に「NO」を突きつけることになるならいいですが、賛成多数となれば、主権者・国民が違憲の安保法制を認めたことになりますよね。そのリスクがある限り国民投票はやらずに選挙で政権交代を実現させる方がいいと思いませんか?

[答]安保法制の是非を問う国民投票で反対多数になる可能性と、次の国政選挙で現政権の議員・候補者が少数派に転落する可能性と、どちらが高いでしょうか。それは、間違いなく前者です。すでに、新聞・週刊誌などで、今夏の参院選の予測記事が出ていますが、野党の選挙協力が成功したとしても、半数のみ改選の参院選で、選挙後に自公などの現政権勢力が少数派に転落する可能性はかなり低いです。自分の希望と現実とがごちゃまぜになってしまい客観的な状況認識ができない人には理解できないでしょうが、これが現実です。
安保法制の是非一点のみを争点として国民が選択・投票する国民投票と違い、選挙では、年金、景気対策、医療・社会福祉など様々な政策テーマについて、投票権者が総合的に判断して投票します。報道機関各社の世論調査では安保法制に反対するという人が今でも6割以上いますが、その人たちの中で、選挙になれば自民党や公明党の候補者に投票する人は少なくありません。しかしながら、もし選挙と同時に国民投票を実施すれば(そういう人たちは)選挙では自民党、公明党の候補者に投票するけど、国民投票では「反対票」を投じるという選択をすることができます。
2012年、リトアニアでは、国会議員選挙と同時に「原発建設」の是非を問う国民投票が行われました。この時、「反原発」を掲げて選挙に参戦したみどりの党の候補者は一人も当選しませんでしたが、国民投票では彼らの訴えに賛同する人が多数を占め、原発建設に反対する票が65%に達しました。 Continue reading

011月/16
長野県佐久市住民投票

[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]連載 第1回

[立憲主義と国民主権を確保するために、主権者・国民がとるべき道]

連載 第1回(全3回)

集団的自衛権の行使を是とした「安保法制廃止」のために、2016年夏の参院選挙で自民党・安倍政権を打ち負かそう──反安倍勢力からはすでにそういう声があがっていますが、年明け以降は一気に「選挙モード」に突入し、野党+市民グループによる候補者調整が具体的に進むものと思われます。
〈憲法違反の「集団的自衛権の行使容認。安保法制成立」を撤回させて廃止するために、安倍政権に代わる政権の樹立を。そのために次の参院選、衆院選で自公の獲得議員を減らしましょう〉──そんなふうに考え、国民に呼びかけるのは尤もなことで、私も、「安保法制」のみならず「原発再稼働」「辺野古の基地建設」に反対する議員を増やす選挙にすべきだと考えています。ただし、「集団的自衛権・安保法制」のことで、理解しておかねばならない本質的なことがあります。それは、現政権を支える政党・勢力が次の参院選挙で議席を減らそうが増やそうが、「集団的自衛権の行使容認。案保法制成立」が憲法違反だという事実は変わらないということです。だから、彼らが議席を減らさなかったとしても、違憲の閣議決定や立法が合憲に転ずるわけではありません。「集団的自衛権の行使容認。安保法制成立」は憲法事項であり、本来は条文改正(改憲)をすることなく行えない立法です。なので、 Continue reading

0710月/15
9条の会

公開討論会:「安保法制」国民投票、「新9条」提唱などについて考える  

公開討論会:「安保法制」国民投票、「新9条」提唱などについて考える

安保法制成立直前の9月16日、護憲派で知られる映画作家の想田和弘さんが、「憲法9条の死と再生」と題した一文を『マガジン9』に発表しました。
http://www.magazine9.jp/article/soda/22727/
『私たちは、9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転、「新しい9条」を創って、自衛隊の行動に歯止めをかけ、制御する手立てを講じなければならない。「9条護憲派」は「9条創憲派」に生まれ変わらねばならないのだ。』
編集部や想田和弘さん御自身には、賛否さまざまな意見が届いていますが、実は、小林節さん伊勢崎賢治さんも、「護憲派から9条改憲案を…」と、かなり前から発言・提唱しています。
なぜ「新9条」なのか。その理由をお2人に伺うと同時に、9条護憲派のリーダーとして知られる佐高信さん落合恵子さんに、この提唱をどう受け止めどう考えるのか、じっくりと語っていただきます。
※9条を改める必要なし、小林節氏らの提唱に異議ありという言論人(プロ)の方で、この討論会に参加したいという方は主催者までご連絡下さい。あと1~2名なら席を増やすことが可能ですので。

日時:10月20日(火)16時~18時半/参議院議員会館会議室
討論の進行を担うのはデモクラテレビの内田誠さん(ジャーナリスト)
※メディアの撮影・取材は自由としますが、16日までに申し込んでください。

◆討論する項目は主に2つ
[1]安保法制成立を受け、今後どう動くのか
大規模な違憲訴訟を起こすこと、そして参院選での「反安倍政権」勢力の結集・選挙協力を促すことについて
参院選と同時に「安保法制」の是非を確認する国民投票の実施を求めることについて Continue reading

109月/15
関西大学東京センター

重要な2つのテーマでセミナー開催:東京9/26(土)

◆市民自治、国民主権、立憲主義にとって重要な2つの問題を取り上げ、わかりやすく解説するセミナーを開催します。
[テーマ1]
政府の安保法制・戦争法案ごり押しから導き出すべきこと/行政府、立法府への多数の異議申し立てを生かし、暴挙を覆すための制度の導入を

世論調査によると、安保(戦争)法案を廃案にすべきだと考えている人が6~7割に達している。国会前をはじめ、各地で集会・デモが開催され、大勢の人が参加した。
にもかかわらず、政府および国会で多数を占める自民党、公明党は、この違憲の法案を来週半ばにも可決・成立させようとしている。
「民意を無視し、憲法と立憲主義を侵す政治を止められない、くやしい」
「民意とのねじれを法的強制力をもって解消させる手立てはないのか」
そういった嘆きや怒りの声をたくさん見聞きする。
そして、このあと聞こえてくるのは「自民党・安倍政権を倒すために次の参院選、衆院選でわが党に投票してください」という共産党や民主党の訴えだ。そうした訴えを行うことは政党として当然のことで非難する気はない。主権者である私たちが法的拘束力を得てできることの代表的な行いは選挙であり、良質だと思える議員を選出することは間接民主制の基本だ。
ただし、それは日本ではそうだということであり、諸外国では、日本とは異なる「異議申し立て」の有効な手を主権者が持っている。スイス、イタリアなどでは、国会が制定した法律を、主権者の署名・発議で国民投票にかけ廃止したり、改正したりしている。
最近では、2011年にベルルスコーニ政権下のイタリア国会で可決・成立した「原発を稼働させるための法律(原発再開法)」の廃止を求める直接請求が反対派の人々によって行われ(憲法に規定されている50万筆以上の署名を獲得)、同年6月12、13日に「原発再開法を廃止するか否か」を問う国民投票が実施された。その結果、投票者の94%が廃止賛成に投票し、憲法の規定に則り、この法律は廃止された。
このような制度が日本にもあれば、今回の安保法制は、成立後に「廃止の是非」を国民投票にかけることができた。日本における現行制度では、異議申し立ての集会・デモは憲法で認められており、実際、今回も国会前や各地で多数の人たちが「廃案にすべし」という声を上げた。だが、法制度的には、たとえ100万人が国会を取り巻こうが、この法案あるいは法律を葬り去ることはできない。今こそ、「異議申し立て」のデモや集会への参加と並行して、こうした制度を導入する強力な運動を展開すべきではないか。
道理に満ちた話なのに、なぜこうした動きが日本で起こらないのか。それは、残念ながら、私がそうした呼びかけ・提案をしても、この20年、日本のリベラルや護憲派の人たちの多くは、支持するどころか「憲法改正につながるから反対…」 という筋違いの「理屈」で、こうした制度の導入に背を向け続けている。そして彼らは、集会、デモ、選挙での対応・反撃 を訴えるばかり。それでは、本当の国民主権、市民自治をこの国に実現させることは難しい。それは、この半世紀の歴史が証明している。

[テーマ2]
「解釈改憲=大人の知恵」の歴史と問題点 Continue reading