スコットランドの国旗

スコットランドの住民投票から学ぶべきこと


今、スコットランドは9月18日の午前9時。イギリスから離脱・独立するか否かを決める投票が2時間前から始まっています。賛否どちらが多数になっても、私の考えは変わりませんが、そう受け止めない人もいるので、結果が出る前に掲載しておきます。

今回、「住民投票」と呼ばれていますが、実際にはイギリスを構成する4つの「国」のうちの一つが独立するか否かですから、これは「国民投票」と呼んでもおかしくない案件です。私は91年2月3月にバルト3国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)が個々に実施した「ソ連邦から離脱・独立するか否か」を問う国民投票およびその直後に実施された「ソ連邦を存続させるか否か」を問う国民投票の現場にいました。

ラトヴィア、リトアニアでは、国民投票をやると宣言した途端にソ連の武装グループから襲撃を受け犠牲者が出ましたが、若者たちは怯むことなく、猟銃を手に市役所などに立てこもりました。まさに命懸けの国民投票でした。あのとき示した圧倒的多数の「独立」の意思が黙殺されることなく尊重され、独立国としての今に至っています。

今回のスコットランドの投票はバルトでの国民投票に比べたら実に平和的であり、かつ賛否両派が拮抗する中で、主権者が議論を重ねて選択・決定するという点において、住民投票、国民投票の理想的な形を整えています。普段は18歳以上に認める投票権を16歳まで引き下げ、多くの若者に決定参加の機会を与たうえでスコットランドの未来を決めるというルールもすばらしい。より感動的なのは、若者たちがその意図に応え、賛否両派の訴えに関心を寄せ、学び、話し合っていることです。その事実は、本会メンバーのジャーナリスト・大芝健太郎さんら世界中のジャーナリストが現地から報じるリポートで明らかです。

結果は大切です。しかし、より大切なのは、こうした重要な案件を一握りの政治家や政府が勝手に決めるのではなく、高校生を含めた一人ひとりの主権者が直接決定を下し、その責任を負うということです。最初から「独立」のメリット、デメリットについて関心を持ち、考察していた人などごく僅かです。住民投票で決める、一人ひとりの一票で決めるとなったからこそ、多くの人が積極的に情報を得る努力をし、自身で考えを深めたのです。それもまた、この間の現地の動きを伝える報道や現地の人々のSNSでの発信からわかることであり、よき住民投票、国民投票の特性とも言えます。

日本では、96年の新潟県巻町(原発建設)を皮きりに、名護市(辺野古の米軍基地建設)、徳島市(吉野川可動堰の建設)など410件以上の条例制定に基づく住民投票が「諮問型」として実施されています。しかし、国民投票は「憲法改正」についてはもちろんのこと、憲法以外の一般的案件でも一件も実施されたことがありません。今、安倍政権が主権者の承認を得ることなく勝手な解釈改憲で集団的自衛権の行使容認を進めつつありますが、「容認」の是非は自民党・公明党の議員だけで決めるのではなく、国民投票にかけて主権者の意思を確認するのが筋だと考えます。「原発再稼働」についても同じです。諮問型なら現行憲法下でも実施可能です。

そういった主張・提案をすると、政権側、自民党側はもちろん、「リベラル陣営」からも「国民投票の実施に反対。日本人は馬鹿、愚かな人が多いから。メディアに騙されるから…」という声があがります。もしそうだとしたら、(私からすればずいぶん愚かしい結果となっているように思える)この国の国会議員選挙の実施にも彼らは反対すべきです。それは、直接民主制・間接民主制の両方を否定することになりますが…。

政党や人を選ぶ選挙より、主権者が直接事柄を決める国民投票・住民投票のほうがずっとまともな選択をしているという事実は、日本で既に実施された410件余りの住民投票が示しています。国民投票・住民投票は実施することによって人々が賢くなっていくのです。

一人ひとりの主権者がよく学び、話し合い、考えて国の未来を選択するスコットランドを羨ましがるだけではなく、ぜひ日本でもやりましょう。[原発]も[集団的自衛権]も時々の政権ではなく国民投票で決着を。 日本人は馬鹿だからダメと、停止・後退するのではなく、国民投票をやることで賢くなって前進を。スコットランドのように。