大阪市を5つの特別区に変えるかどうか──その是非を大阪市民に問う住民投票はいよいよ明日投開票となります。
結果が出てから書くと、素直に読み込もうとせず、「賛成多数だったから」、「反対多数だったから」こんなことを書いているという人が必ず出てくるので、前日(5.16)の午前11時にアップしておきます。
「原発」にせよ「市町村合併」にせよ、一般的に国民投票・住民投票での決着を否定する人は、昔は、「議員に比べて一般の市民は理解、判断能力が劣っている」と言って憚りませんでした。
今は、こんなふうに言う「自称リベラル」が多いです。
「国民投票・住民投票は、投票する人が十分な情報を得た上で勉強することが不可欠。そうでなければ愚かな投票になってしまう。今の日本人(〇〇市民)は、この案件(原発とか合併とかいった投票対象)について勉強どころか関心がない。ちゃんと勉強してから、国民投票・住民投票をやると決めるべきです」
尤もらしいことを言ってますが、したり顔でこんなことを言う人は、国民投票・住民投票の現場、実態を何も知らない人です。例えば、88.29%という高い投票率と豊かな議論、冷静な考慮を実現した巻町の「原発」住民投票にせよ、上尾市や米原町の「合併」の選択を問うた住民投票にせよ、辺野古の新たな米軍基地建設を問うた名護市民投票にせよ、スウェーデンの「原発」国民投票にせよ、どこでもそうですが、多数の住民が強い関心を持ち、既に案件に対する理解が進んでいたから住民投票・国民投票で決めようとなったのではなく、住民投票・国民投票で決着を付けると決まってから、人々は関心を強め勉強も議論もしたのです。最初から、多数の人が強い関心を持ち案件について理解をしていたというところなどありません。
今回の大阪での住民投票もそれは同じ。もし「最終的に議員が決める」ということだったら、大半の市民は自身で勉強せず、議員任せにしていました。一人ひとりの市民が最終決定権を行使することになったからこそ、関心をもち勉強もしたのです。39回に及ぶ市主催の「説明会」がほぼすべて満席となったのはその証で、おそらく、この説明会の準備をした市職員は、普段はいいかげんに見える大阪市民の「勤勉さ」に驚き感激したことでしょう。私も意外でしたが、これは大阪市民だからではなく、他の自治体住民でも同じ反応をしたに違いありません。 Continue reading